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2011年06月09日

「芝草」にも生きている価値がある?!金子みすゞ詩の世界21


スズメの食事 by まーしゃる.jpg


芝草


名は芝草というけれど、
その名をよんだことはない。

それはほんとにつまらない、
みじかいくせに、そこら中、
みちの上まではみ出して、
力いっぱいりきんでも、
とても抜けない、つよい草。

げんげは紅い花が咲く、
すみれは葉までやさしいよ。
かんざし草はかんざしに、
京びななんかは笛になる。

けれどももしか原っぱが、
そんな草たちばかしなら、
あそびつかれたわたし等は、
どこへ腰かけ、どこへ寢よう。

青い、丈夫な、やわらかな、
たのしいねどこよ、芝草よ。


「芝草」というその名はあるけど、呼ばれることはなく
きれいな花をつけるでもなく、草笛にもならない、
何の役にも立たないように見える、そんな、草とか
雑草としか見られないそんな芝草。

そんな存在にも、みすゞはしっかり存在意義を見つけてあげます。
気兼ねなく、腰掛けたり、寝転んだりするのに必要だと。

みんなが知っている「私と小鳥と鈴と」で「みんな違ってみんないい」
と言ったその優しい精神が、いろんなものを見つめる視点に表れています。

何かの役に立つことができるなら、それだけで生まれてきた甲斐があるというものです。
名前も呼ばれることのない草でも人の役に立っています。だとすれば、どんなに雑草のように取り得のないように見える人であっても、役に立つことはできるということですね。

人が生まれてきたのは、自分のためではなく、誰かのためです。
生まれた時、両親や家族にどれだけ喜ばれ、かわいがられたか、私たちは記憶していなくてもその魂には刻まれています。

自分が食べて楽しむだけに生きているのではなく、芝草のような人生であったとしても、人のためになったなら、その分価値があったのであり、魂を磨くことになっているのです。

自分には存在価値などないと、思うとしても、たとえ0からでも、いくらでも些細に思えることからでも作ることはできます。
人のために、惜しまず笑顔を与えていくそんなことからも…。

今日もいい一日を
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追記:「芝草」というのはつまり「芝生」のことのようです。
雑草か、芝生か、その区別は実は曖昧で、それをひっくるめて「芝草」といってもいいのではないでしょうか。ゴルフ場のグリーンではなくても…。

2010.09.19 和泉川 リゾートのパラソル.jpg



posted by kuri-ma at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 金子みすゞの詩の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする