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2011年04月27日

私たちが子どもたちに残せる財産とは?!相田みつをの言葉


2011.04.22 和泉川 枯葉破りのスギナ.jpg


今年は「辛卯の年」で、全てが枯れ果てるような「死」の立場から、新しい春の訪れと共に発芽し、青葉が生い茂るという、革命と再生を暗示する年回りなのです。
未曾有の大震災を思うと、多くの犠牲の上に、なんとか復興をなしていきたいと思いますね。
そういう時、何が大切かといえば、精神性であり、真心だと思うのです。

相田みつをさんの言葉を紹介します。

親父は財産は何にも
私に遺してくれなかったんですね。
それがたった一言だけ、
「いい人でしたよ。
仏様みたいな人でしたよ」
と言われたときに、
私は、涙が出るほど
腹の底から嬉しかったですねぇー。
親の財産というのは、
何にも遺さなくていいけれども、
「あんたのお父さんはたいへんいい人でしたよ」
という、その一言が、我が子に残す
一番いい財産じゃないかと思うんです。
私は、こんな嬉しい言葉を、
聞いたことありませんでした。
「いちずに一本道いちずに一ッ事」より


震災で多くのものを失った方々は、本当にお気の毒ですが、たとえば補償を得る場合にも、当たり前だ、少なすぎるというのではなくて、ありがたく受けていかれたら、尚いいと思います。

日本は豊かな経済と環境を得ましたが、こうやってみると、いつそれを失うかわかりません。頂く環境や財産は私の物ではなく、私たちは管理者に過ぎないと感じます。

多くのものを子どもたちに残してあげたい、と思うのは親心ですが、あり余る財は子どもたちのためにはなりません。それをしっかり管理できる器、人格にふさわしい財を持たないと不幸になるのです。

たとえ大きな財産を持たなくても、心の財産、魂の財産を、日本の未来を担う子どもたちに持たせてあげることが必要かなぁと思っています。
見えない財産こそが、一番の宝になると思うのです。
大きなものを失った今だからこそ、この日本が大きな宝を得る時だともいえますね。

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写真は「枯葉破りのスギナ」ひでわくさん




posted by kuri-ma at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 相田みつをの言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

復活祭になんで卵とうさぎ?!法王が日本にもメッセージ等、世界各地のイースターのニュース


春の小川はキラキラ。




華やかに祝い楽しむ、世界各地のイースター
国際ニュースAFPBB 写真22枚



イースター・エッグというと、在欧中にいろいろな思い出があります。
ブルガリアにいた頃、現地のメンバーと一緒に作りましたが、それは家庭用のもののようで、たくさんの固ゆで卵を作り、そこに絵の具でペイントしました。子どもが喜びそうなイベントでしたね。
復活祭の日にはその卵は、全部食べてしまうのです。「イースターの翌日は、卵を見たくなくなる」ほどだということです。

ドイツでは、イースターの前になると、装飾用のエッグを販売していました。鶏だけでなく、おそらくガチョウかなんかの卵の殻に、美しいペイントがされていたり、それを一般の家庭で飾るんですね。
ドイツ人は、家を素敵に飾るのが好きな人たちで、クリスマスもそうですが、イースターにも気合が入っていましたね。

芸術的なイースターエッグの数々、高価なものから手作りの手頃なものまであって、思わず『買おうかな』なんて思いましたが、移動中に壊してしまいそうでやめました。
西欧に入ってくるそんな手作りイースターエッグの多くは東欧から入ってくるようでした。上記のスロベニア人の職人の作ったようなものは見ませんでしたね。きっと手は出ないでしょうが、一度この目で見てみたいですね。
聞くところによると、確かロシアのどこかに、王室に伝わっていた世界で最も高価なイースターエッグがあるということでした。職人技というのは、芸術もかなわないものがあるようです。

さて、前置きが長くなりましたが、なぜイースターに卵なんでしょうか?
そもそもイースターってなんぞや、っていう方も実はおられるのではないでしょうか。
私もそんなに深い知識は持っていませんので、今回少し調べました。

イースターというのは、日本語では復活祭とか復活節といいますね。
イエス・キリストが十字架上で処刑された後、三日後に、復活した記念日です。

キリスト教というのは、考えてみればキリストの死と共に蘇ったともいえるでしょうか。トップを失って散り散りになった信徒たちを呼び集めたのは、復活したイエス・キリストでした。そこから、本当の意味でキリスト教というのが始まったようです。
亡くなった人が復活?!と疑問に思われるでしょうが、しょげていた信徒たちを俄然やる気にさせたのは、やはり、キリストが現れたからではないかと思います。私はそれこそ、霊であるのではと考えています。それが一番納得いく解釈です。

それでは、なぜ復活祭にエッグやバニーなのか???ということですよね。
イースター・エッグは、
これはもともとヒナが卵から生まれることをイエスが墓から出て復活したことに結びつけたもの、および冬が終わり草木に再び生命が甦る喜びを表したものといわれている。英語圏やドイツではイースター・バニーが運んでくる(または産む)ものとされているが、フランスやイタリアでは教会の鐘が運んでくるものとされている。

また、クリスマスや、ハロウィンと同じような内容がありました。 
クリスマスはミトラ教の冬至の行事、ハロウィンはケルト人の収穫感謝祭が、諸聖人の日(万聖節)の前夜祭と結びついてしまったものでした。
そして、復活祭に関しては、キリストが復活したというキリスト教の行事を越えて、ゲルマン人が行っていた春の到来を祝うお祭りから由来しているということです。

復活祭を表す英語「イースター(Easter)」およびドイツ語「オースタン(Ostern)」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているといわれる。

また、イースターは、ユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」とも関連付けられます。元々は同じ日に祝っていたようです。

宗教行事のようでそうでないような。宗教というのは、生活や文化に密接にあるもので、堅苦しい儀式よりも、各種のお祭りや、家庭などの行事として浸透したんでしょうね。
日本のお祭りも、今はただ盛り上がっているだけですが、その昔は収穫祭などの大切な宗教儀式であったはずですから。

また、ヨーロッパでは、西方教会と東方教会では復活祭を祝う日付が違います。これはそれぞれグレゴリオ暦とユリウス暦との違いによるものだとのこと。古くから地方によって、また教派によって異なるものとなり論争を生んできたようです。
ちなみに現代でもこの名残が残っていますが、西欧に倣った米国などの影響で、大勢はグレゴリオ暦で祝うことが多いようです。
しかし、いずれにしても4月4日から5月8日と、年によって祝う日が異なるため、それも論争の種になっています。今年は共に4月24日に祝われました。

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この記事をもとに2012年度版の記事を作りました 
 イースターって?!なぜエッグとバニー?! +関東は桜満開!


2011年04月25日

〜命日に寄せて〜「ダンスホール」尾崎豊の求めていたもの7


夕焼け.jpg


19回目の命日となりました。尾崎豊の命日を意識することは、実は今までありませんでした。(このブログのお陰ですね)

先月、テレビ東京で、ドラマとドキュメンタリー番組がありました。
私も知っている内容から、もっと細かいエピソードも盛り込まれていました。
内容としては、上出来とはいえませんが、尾崎豊という元々の素材がよいので、それぞれ、まずまず味わえる内容にはなっていました。

ドラマについては、彼の肉声や行動を再現してくれていたので、わかりやすく心に届く部分もありましたが、歌が興ざめにさせていました。
おそらく、尾崎豊こそが、歌が上手すぎるのでしょう。声もいいですし、迫力も。

カリスマ性の在る存在を演じるのは、難しいことでしょう。主役の成宮寛貴が歌っていましたが、あまりにも無理がありました。力量が違いすぎます。ずいぶん練習はしたんでしょうが…。
がんばってはいましたし、演技も表情や仕草など、とても研究したようです。ただ、尾崎豊の魂まで感じさせる演技だったかどうか、となると…。

再現ドラマに毛が生えたもの、といったら言い過ぎだとは思いますが…。
それでも、尾崎豊の人生をビジュアルを通して知らせてくださって、彼の言葉など、感動するものも十分ありました。
一言で表すと、「こんなものじゃない、尾崎」という感じでしょうか。

「僕は何のために生まれてきたんでしょうか?」と、初対面のインタビューの記者にさえ、質問するような人だったとのこと。
その人たちは、ちゃんと答えてあげたんだろうか、と思うのです。(おこがましいですが)私が話す機会があったなら、彼にもっと希望を与えることを話してあげれたのに、と思います。誰にも、生まれてきた意味と、価値があるのですから。
この世にはいない、彼の魂に語りかけてみても、やはり、まだ求め続けている、そんな気がしてなりません。

ドラマの中で、息子の裕哉さんが生まれた時、「僕は何のために生まれてきたかわかったような気がするんですよね」と話しています。命の誕生に関われたこと、愛する家族を持てたことはとても大きいことだったんですね。ただ、彼の求め続ける気持ちは、亡くなるまで、亡くなってからも続いていると思えるのです。

さて、今日紹介する「ダンスホール」は、彼を世に送り出すきっかけともいえる曲です。「ダンスホール」ともう1曲をデモテープにして送ったのが、耳にとまり、CBSソニーのオーディションを受けることになったのです。
その、オーディションの様子はYouTubeにも流れています。

高校生の書くような詞ではないと、思われるような内容ですが、これは実際彼がダンスホールで見聞きした内容と、聞くところによると、当時実際にあったディスコでの女子中学生殺人事件に触発されて作られたものだとのこと。
二枚目のアルバム、「回帰線」に収められています。

愛を安売りしないで、その時だけの刺激や慰めではなく、本当の幸せをつかんでほしかった、尾崎豊の優しい視線で描かれた歌です。


ダンスホール-尾崎豊

安いダンスホールはたくさんの人だかり
陽気な色と音楽と煙草の煙にまかれてた
ギュウギュウづめのダンスホール
しゃれた小さなステップ
はしゃいで踊りつづけてる おまえを見つけた

子猫のような奴で なまいきな奴
小粋なドラ猫ってとこだよ
おまえはずっと踊ったね

気どって水割り飲みほして
慣れた手つきで 火をつける
気のきいた流行文句(はやりもんく)だけに
おまえは小さく うなづいた
次の水割り手にして
訳もないのに 乾杯
こんなものよと 微笑んだのは
たしかに つくり笑いさ

少し酔ったおまえは 考えこんでいた
夢見る娘ってとこだよ
決して目覚めたくないんだろう

あたい グレはじめたのは ほんの些細なことなの
彼がいかれていたし でも本当はあたいの性分ね
学校はやめたわ 今は働いてるわ
長いスカートひきずってた
のんびり気分じゃないわね
少し酔ったみたいね しゃべり過ぎてしまったわ
けど 金がすべてじゃないなんて
きれいには言えないわ

夕べの 口説き文句も忘れちまって
今夜もさがしに行くのかい
寂しい影 落としながら

あくせくする毎日に 疲れたんだね
俺の胸で眠るがいい
そうさおまえは孤独なダンサー
アルバム「回帰線」より 





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posted by kuri-ma at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 尾崎豊の求めていたもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする