入力不力
りきんだらダメ
たるんでもダメ
ちからをいれて
りきまず
りきんだらダメ
たるんでもダメ
ちからをいれて
りきまず
それがなかなか
むずかしいんだよなあ
むずかしいんだよなあ
相田みつを
「中庸」とか「中道」という言葉があります。
極端ではなく中を取る、という意味ではなく、
どっちつかずの「中途半端」ということではもちろんありません。
「中庸」は孔子が初めて使った言葉で、
「中道」は、釈迦が悟りを開いた境地で、仏教用語です。
仏教の支持者は、「中庸」と「中道」は違うというのですが、細かいことを言わずに、一般人の私たちが使う時は混同しても構わないのではないでしょうか。「中庸」や「中道」をわきまえた人だったら、どちらでもいいし、どちらも尊重すると思うのですが。(「中道」というのは修行に関していうらしいです。)
書物として、四書の中の一つ『中庸』があります。
これは「四書」の中で最後に読むべきもの、とされているように、他のものをマスターしてから「中庸」を知る、ということではないかと思います。
釈迦が悟った「中道」、そして全てを知ってから知る「中庸」。
悟りが足らず、無知な私たちには難しそうですが、できることもあると思うのです。
「りきんでもダメ、たるんでもダメ」というのは、力を入れた状態と、緩めてたるませた状態を知っていなければ、ちょうどよくはできないでしょう。
どんなことも、やり始めは、力の入れ方が分からず、力んでしまいます。かといって力を抜きすぎてもできません。だんだん力の入れ方、抜きどころをつかむのではないでしょうか。
例えば料理も、料理に慣れない人は、料理本から手を離さず一言一句その通りにやろうとしますが、時にタイミングをつかめず、失敗するでしょう。
焼くにしても、煮るにしても何にしてもポイントがあります。焦がしもせず、レアでもない。固くもなく、煮崩れもせず。これができれば料理の中庸を極めたということになるでしょうか。
主婦というのはすごいなぁ。単にポイントをつかめたから、ということでもあるんですが。手抜きのポイントというのも大きいですね。
ですから、「慣れ」ということも大きいわけです。
慣れというのは、ただ時間が経ったというのではなくて、その間に失敗があり、試行錯誤があったはずですから。
相田みつをさんの言葉というのは、とてもホッとするのですが、厳しいこと、やらなければならないこともよく知っている上で、肩に力が入りがちな人たちの心をほぐしてくれるんですね。
やるべきことは、私たち自身がよく知っているから、お説教はいらない、ということですよね。
それよりも力が入りすぎたり、緊張していたり、あるいは力が萎えているそんな状態のときに、さっとあるべき「平常心」に戻してくれるから、
快いんですね。
上級のマッサージ師の技をもっておられる、ということです。
「ちからを緩めすぎず りきまず」今日も一日、元気に過ごせますように。